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お盆号2016.07.10
当たり前
はっきりとしない雲の多い日が続いております。
もっとも、梅雨の季節でありますし、それが当然と言えば当然なのでしょうが。
しかし、梅雨といっても今年はあまりまとまった雨は無く、利根川上流にあるダムの貯水率は軒並み平年を下回っており、1992年の観測開始以来最低の貯水量と言われております。
関東地方では、1994年にも雨が少なく水不足となり、東京で渇水対策本部が設置され、取水制限も最大で15%行われました。
今年も今後の雨量次第では、取水制限が実施され、給水制限や、もしかすると断水ということもありえるかもしれません。
水を無駄にせず、大切に使うことを今から心がけておく必要があるかもしれませんね。
私たちは普段生活をしている中で、水を飲みたい時、トイレに行きたい時、お風呂に入りたい時、いつでも当たり前に水を使えると思っております。
今年も水不足と騒がれてはいても、まだ今の時点(7月10日現在)では、蛇口を捻れば普通に水は出ますし、生活に何ら支障をきたすことはありません。
しかし、このまま雨がダム近辺にあまり降らないと、いよいよ給水制限や、最悪の場合、断水もありえるわけです。
そうなると、私たちの生活にも支障が出て参ります。
トイレに行っても時間によっては水を流すことも出来なくなるかもしれません。
お風呂に入りたくても、シャワーが出なくなるかもわかりません。
のどが渇いても、水を飲めないかもしれません。
水が不足するということは、実に恐ろしいことなのです。
しかし日本に於いては、とりわけ関東地方に於いては、水が不足するというのはそう頻繁に起こるものではありません。
ですから、どうしても私たちは普段、水があるのは当たり前と思ってしまうわけです。
ですが、一度雨が降らなくなれば、私たちが当たり前と考えていることは、あっという間に覆されてしまいます。
当たり前に過ごしている日常さえ、当たり前で無くなってしまうのです。
そう、この世の中には当たり前のことなんて無いのだと思います。
それでは、当たり前のことが無いとなると、この世の中はいったいどんなものなのか、どう考えるべきなのかと皆様思われるのではないでしょうか。
私は、当たり前の対義語の意味する言葉で表すことができるのではないかと思います。
それは、〝有り難い〟という言葉です。
〝有り難い〟という字は、「有ることが難しい」とも読むことができます。
私たちが日常当たり前だと思って過ごしているこの環境は、すべて有り難いものなのです。
ですから、当たり前のことは無いのですから、毎日をいつも通り普通に過ごせるのも実は本当に有り難いことなのです。
仏教では、すべてのものに感謝する心を養うということを大切にします。
それは、私たちが幸せに生きていく為には、すべてのものに感謝する心が必要だからです。
いつも通り、朝無事に目が覚めて、いつものように朝食を食べ、仏壇に手を合わせ、学校や仕事に出かけ、夜になれば家に帰り、お風呂に入りフカフカの布団で眠る。
こういった日常を、すべて〝有り難い〟と心で思えたなら、感じることができたならば、それはどんなに幸せなことでしょう。
どうか、これからお盆を迎えるにあたり、龍性院檀信徒の皆様におかれましては、すべてのことに感謝する心を育んで頂き、心安らかに日々をお過ごし頂けますと、幸甚に存じます。
これから暑い日が続くと思われますが、くれぐれも体調に留意して頂き、お盆には元気な姿でお会いしましょう。