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正月号2022.01.01
新年のご挨拶
早いもので、新たな元号になってから3度目のお正月となりました。龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、令和4年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。また、旧年中に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。本年も、當山護持・発展の為一生懸命尽力して参りますので、ご信援を頂きます様、よろしくお願い致します。
さて、約2年に亘り、世界中に不安や恐怖をもたらした新型コロナウイルス感染症ですが、我が国に於いては、専門家等が語る様々な要因のお陰なのか、幸いに新規感染者数も少ない状態を維持できております。人々が社会生活を再開する中、今後増減の波はあるかと思いますが、ワクチンに加え、治療法や経口薬の開発が進めば、病気を抑え、社会的不安も和らぎ、コロナ以前の日常を取り戻せる、そんな希望がやっと見えて来たように感じます。
昔から、「楽あれば苦あり、苦あれば楽あり」と言われますが、人生は必ず楽も苦も伴います。どちらか一方ということはありません。しかし、私たちは幸せのみを願い、苦しいことがあれば、この苦しみが永遠に続くものだと思い込んでしまいがちです。もし、幸せのみの世界だとしたら、私たちはその世界を幸せと感じることが出来るでしょうか?新型コロナウイルス感染症の流行前、私たちは友人と食事に出かけたり、遊びに出かけたり、旅行をしたり、そのすべてが“当たり前”と思っていました。当たり前なのですから、当然そこに感動や有難さを感じる心は生まれにくいでしょう。
ところが、コロナ禍で私たちの思っていた“当たり前”はいとも簡単に崩れ去りました。従来、私たちが過ごしていた日常は、“当たり前”ではなく“有難い”ものだと気づかされたのです。これは、“コロナ禍”という苦が、今までの日常生活がいかに有難いものかということを私たちに教えてくれたのだと思います。
幸せのみの世界にいたら決して気づくことの出来なかった幸せ。幸せな人とは、当たり前と思って見過ごしているものの中にある、本当の幸せを受け止める感受性を備えた人なのだと思います。
間もなく、コロナ禍という長かった苦しみから脱して、元の日常である“楽の世界”に戻れるかもしれません。しかしそれは、コロナ禍という苦しみを経た上で獲得できる“楽の世界”でもあります。苦しみとは、普段私たちが気づかない有難い“楽”を教えてくれるもの。このことを心に刻み、コロナ後は多くの幸せを感受できる心を養いたいものです。
令和4年が、檀信徒皆様にとって幸多き年となります様、ご祈念申し上げご挨拶と致します。
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