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正月号2014.01.01
新年を迎えて
龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、平成26年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのこと、心よりお慶び申し上げます。
また、昨年中に皆様方に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。
さて、當山龍性院の境内地から約600メートル程離れたところに、龍性院の境外(けいがい)仏堂(ぶつどう)である〝岩室(いわむろ)観音堂(かんのんどう)〟がございます。
この岩室観音堂とは、真言宗の宗祖、弘法大師空海が岩窟を選んで高さ一尺一寸(36.4㎝)の観音像を彫刻してこの岩窟に納め、その名前を岩室山と号したものが始まりであると伝えられています。
現在のお堂は松山城の落城とともに焼失したものを江戸時代に再建したものと言うことであります。
この岩室観音堂の1階には、左右に岩室があり88体の石仏が祭られております。
この88体の石仏は、四国八十八ヶ所弘法大師巡錫の霊地に建てられた寺々の本尊を模したものであり、この石仏をおがめば、四国八十八ヶ所を巡拝したのと同じ功徳があるとされています。
長々と説明を申し上げてしまいましたが、昨年(平成25年)10月、この石仏の内の5体の石仏が、何者かに破壊をされるという事件が発生いたしました。
地元の方からの一報をいただき、状況を確認後、警察へ被害届を提出いたしましたが、未だ誰が何のためにこのようなことをしたのかはわかっておりません。
この事件の現場検証に来て下さった若い警察官も、「まったく、バチあたりなことをするやつがいるもんですね。」と溢されていましたが、もう一人の警察官が「犯人にはどんなバチがあたるんですかねぇ?」と私に言いました。
それを聞いて私は、大学時代にご指導いただいたある僧侶の先生の言葉がふと頭に浮かびました。
その言葉とは、『仏様は人にバチなんかあてない、人間を懲らしめてやろうなんて仏様は考えないからな。』というものでした。
しかし、当時学生で若かった私は、「それじゃあ、バチは誰があてるんですか?」と先生に聞き返しました。
すると、『バチは誰かがあてるんじゃなく、たいていは自分からバチにあたってるんだよ、人が傷つくことをしたり、もったいないこと、人の道に外れたことをしていると、自分の行く手にバチが置かれてるもんだ。』と答えて下さったのです。
先生のこの言葉を思い出した私は、得意になって『バチは誰かがあてるもんじゃありませんよ…』と、先生と同じ言葉でもって警察の方にお話しをしてしまいました。
人間裸一貫で生まれてきて、いきなりバチに当たる人はいません。
育っていく過程で、先に進んでいく中で、バチの置かれている道を歩くか、バチのない道を歩くか決まってくるものだと思います。
せっかく、仏様からご先祖様からいただいたこの人生、自ら選ぶことができる道もあるのですから、お互いに〝バチ〟には気をつけて、より良い道を進みたいものです。
また、凶悪な事件のニュースを聞く度に、この社会から〝バチ〟に自ら当たりにいくような人が少しでも減り、より良い世界になって欲しいと願わずにはいられません。
年頭に当たり、皆さまのご健勝、ご多幸をせつにお祈りいたします。