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お盆号2017.07.02
施しのこころ
7月になりました。
早いもので、平成29年も半分以上の月日が経過したということです。
この季節らしいジメジメした陽気と共に、一日を通じ時折雨が落ちる、梅雨真っ只中といった日々が続いております。
檀信徒の皆様には、何卒御自愛いただき、猛暑と予想される今年の夏もお元気にお過ごし下さいます様、ご祈念申し上げます。
さて、今年も後1ヶ月余りでお盆の時期を迎えます。
お盆の期間(8月13日~16日)はご先祖様をご自宅に迎え、年に1度のご先祖様の里帰りを皆でもてなしたいものです。
當山では、このお盆期間中の8月14日に毎年恒例の大施餓鬼会(だいせがきえ)を行います。
大施餓鬼会というとわかりにくいかもしれませんが、〝お施餓鬼(せがき)〟と聞くとおわかりになる方も多いのではないでしょうか?
多くの僧侶が集まり本堂内に読経が響き渡る中、新盆を迎える家族・親族を始め、毎年大勢の檀家の皆様がお詣りをし、ご先祖様に塔婆を上げてご供養をする大変重要な法要です。
そもそもこの施餓鬼とは、お釈迦様の十大弟子のひとり阿難尊者(あなんそんじゃ)の古事に由来したものであり、餓鬼に食べ物を施すことを言います。
餓鬼とは、死後生まれ変わるとされる六道(①天道・②人間道・③修羅道・④畜生道・⑤餓鬼道・⑥地獄道)の餓鬼道に住んでおり、常に飢えや渇きに苦しみ、例え食物や飲み物を手に入れたとしても口に運ぼうとすると焔に変わってしまう、満たされざるものです。
この餓鬼をさらに、〝無財餓鬼(むざいがき)〟と〝有財餓鬼(うざいがき)〟という2種類の餓鬼に大別することができます。
無財餓鬼とは、まったく何も口にすることができない餓鬼です。
上記の通り、たとえ目の前に飲食物があったとしても、食べようとすると発火し食べることができないのです。
一方、有財餓鬼とは食事をとることができる餓鬼を言います。
有財餓鬼は、不浄なるものを少量口にできる〝少財餓鬼(しょうざいがき)〟と、多くのものを飲食できる〝多財餓鬼(たざいがき)〟とにさらに分別をされます。
多財餓鬼に至っては、多くの食事がとれるばかりでなく、六道の天道にも行くことができる恵まれた餓鬼なのです。
ただし、無財餓鬼にも多財餓鬼にも共通しているのは、満たされざるものであるということです。
食事をまったくとれない無財餓鬼はもちろんのこと、たくさんの食事ができる多財餓鬼もけっして満腹にはなれないのです。
このような恐ろしい餓鬼の世界ですが、それでは私たちが生きている世界はどうでしょうか?
食事をとれないくらい貧しい方は、世界を見渡せばたくさんいらっしゃいます。
また、多くの食事や快適な生活に恵まれながらも、けっして満足できない満たされない方も大勢いらっしゃるのではないでしょうか?
餓鬼の住む恐ろしい世界は、今を生きる私たちのすぐ身近にあるものなのです。
さて、説明が長くなってしまいましたが、施餓鬼とはこの満たされざるものに食べ物を施し救う為の法要です。
あらゆる餓鬼に施しを与えることにより自らの心を養い、その功徳が施主や今は亡き先祖に及ぶものなのです。
私たちの心には、多少なりとも餓鬼の心は存在します。
しかし、その心に支配をされてしまっては、私たちは完全な餓鬼道へと堕ちてしまうでしょう。
そうならない為にも、施しのこころを学び、仏様の心に近づけるよう精進したいものです。
皆様の、大施餓鬼会へのご参詣をお待ちしております。
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正月号2017.01.01
新年のご挨拶
平成28年もあっという間に過ぎ去り、新年が始まります。
龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、平成29年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。
昨年中に皆様方に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。
また、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さて、ここ数年の龍性院だより正月号では、まず昨年一年間に起きた出来事等を振り返り、お話をさせて頂いておりますので、今回もそのようにさせて頂きたいと存じます。
昨年を振り返りますと、国内では4月14月に熊本県、大分県を中心に最大震度7の非常に大きな地震が発生し、2日後には本震とされる揺れを観測。
以降、大きな余震が続き、この地震での直接死者数は50名、避難生活からくるストレスや病気でなくなった関連死の方を含めると、100名以上の尊い人命が失われました。
また、8月に相次いで発生した台風により、とりわけ北海道や岩手県は甚大な被害にみまわれました。
北海道に3つの台風が上陸したこと、東北地方太平洋側に台風が上陸したことは、気象庁が1951年に統計を開始して以来、初めてのことだそうです。
この豪雨に伴い住居への浸水被害、河川の氾濫、土砂災害が発生し、岩手県、北海道等で20名近くの方が亡くなられました。
改めまして、被災をされました方々に心よりお見舞い申し上げ、お亡くなりになられました皆様のご冥福をお祈りいたします。
日本はもともと自然災害の多い国と言われます。
全世界の中で日本の国土が占める割合は、わずか0.3%弱ですが、全世界で発生しているマグニチュード6以上の地震の20%以上が日本で起こっているそうです。
それに関連して、活火山も多いわけですから、全国大体どこに行っても温泉が涌き出ていたり、最近ではクリーンエネルギーとして地熱発電が注目をされていますが、これも活火山があるお陰さまでもあるのです。
確かに地震というデメリットはありますが、少なからずメリットも享受をしているわけです。
私たちは、自然の中で、自然の恵みを頂いて生かされています。
なので、自然が無くなれば当然生きていくことはできません。
自然が無ければ生きていけない私たち人間が、自然の営みの中で発生する自然災害からのみ逃れることは無理なのかもしれません。
ですから、逃れられない災害から少しでも身を守る備えは必要ですし、備えていても不幸にもお亡くなりになってしまう方がいることは、遺憾にたえません。
不幸にも亡くなってしまった方を鎮魂する、それが私たち生きている者にできることです。
しかし、自然災害が起こるからと言って、自然を悪だと思うべきではないと思います。
物事には〝裏〟と〝表〟があります。先ほど申し上げましたように、生き物は自然によって殺されてしまう事もありますが、
普段は自然に恵みを頂き生かさせてもらっているのです。私たちは何かあると、物事の悪い方を印象深く残してしまいがちですが、何事も良い部分もあれば悪い部分もあるのです。
それが私たちの生きている〝世界〟なのです。
物事の良い部分は、とかく陰に隠れて見えにくいものです。
しかし、何事にも、どんな方にでもある〝お陰さま〟を常に見つける正しい眼を持つことができれば、今までより清々しい世界が開けるのではないかと思います。
年頭に当たり、皆さまのご健勝、ご多幸をせつにお祈りいたします。
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お盆号2016.07.10
当たり前
はっきりとしない雲の多い日が続いております。
もっとも、梅雨の季節でありますし、それが当然と言えば当然なのでしょうが。
しかし、梅雨といっても今年はあまりまとまった雨は無く、利根川上流にあるダムの貯水率は軒並み平年を下回っており、1992年の観測開始以来最低の貯水量と言われております。
関東地方では、1994年にも雨が少なく水不足となり、東京で渇水対策本部が設置され、取水制限も最大で15%行われました。
今年も今後の雨量次第では、取水制限が実施され、給水制限や、もしかすると断水ということもありえるかもしれません。
水を無駄にせず、大切に使うことを今から心がけておく必要があるかもしれませんね。
私たちは普段生活をしている中で、水を飲みたい時、トイレに行きたい時、お風呂に入りたい時、いつでも当たり前に水を使えると思っております。
今年も水不足と騒がれてはいても、まだ今の時点(7月10日現在)では、蛇口を捻れば普通に水は出ますし、生活に何ら支障をきたすことはありません。
しかし、このまま雨がダム近辺にあまり降らないと、いよいよ給水制限や、最悪の場合、断水もありえるわけです。
そうなると、私たちの生活にも支障が出て参ります。
トイレに行っても時間によっては水を流すことも出来なくなるかもしれません。
お風呂に入りたくても、シャワーが出なくなるかもわかりません。
のどが渇いても、水を飲めないかもしれません。
水が不足するということは、実に恐ろしいことなのです。
しかし日本に於いては、とりわけ関東地方に於いては、水が不足するというのはそう頻繁に起こるものではありません。
ですから、どうしても私たちは普段、水があるのは当たり前と思ってしまうわけです。
ですが、一度雨が降らなくなれば、私たちが当たり前と考えていることは、あっという間に覆されてしまいます。
当たり前に過ごしている日常さえ、当たり前で無くなってしまうのです。
そう、この世の中には当たり前のことなんて無いのだと思います。
それでは、当たり前のことが無いとなると、この世の中はいったいどんなものなのか、どう考えるべきなのかと皆様思われるのではないでしょうか。
私は、当たり前の対義語の意味する言葉で表すことができるのではないかと思います。
それは、〝有り難い〟という言葉です。
〝有り難い〟という字は、「有ることが難しい」とも読むことができます。
私たちが日常当たり前だと思って過ごしているこの環境は、すべて有り難いものなのです。
ですから、当たり前のことは無いのですから、毎日をいつも通り普通に過ごせるのも実は本当に有り難いことなのです。
仏教では、すべてのものに感謝する心を養うということを大切にします。
それは、私たちが幸せに生きていく為には、すべてのものに感謝する心が必要だからです。
いつも通り、朝無事に目が覚めて、いつものように朝食を食べ、仏壇に手を合わせ、学校や仕事に出かけ、夜になれば家に帰り、お風呂に入りフカフカの布団で眠る。
こういった日常を、すべて〝有り難い〟と心で思えたなら、感じることができたならば、それはどんなに幸せなことでしょう。
どうか、これからお盆を迎えるにあたり、龍性院檀信徒の皆様におかれましては、すべてのことに感謝する心を育んで頂き、心安らかに日々をお過ごし頂けますと、幸甚に存じます。
これから暑い日が続くと思われますが、くれぐれも体調に留意して頂き、お盆には元気な姿でお会いしましょう。
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春彼岸号2016.03.02
震災5年を迎え
寒さもようやく緩み、一雨ごとに春めいて参りました。
龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、益々ご健勝の事とお慶びを申し上げます。
また、常日頃より當山護持のため格段のご信援を賜り、厚く御礼申し上げます。
さて、今年も春のお彼岸の季節が近づいて参りました。
ついこの前、平成28年の新年を迎えたばかりの気も致しますが、あっという間ですね。
あっという間といえば、今年は東日本大震災が発生してから、丸5年の節目でもあります。
被災地は未だ復興道半ばであり、被災された皆様のご心痛を察すると言葉もみつかりません。
被災をされました方には謹んでお見舞いを申し上げます。
私は現在、智山青年連合会という若手僧侶が属する団体の事務局の仕事を致しております。
この智山青年連合会の活動を通じ、東日本大震災が発生して以降、毎年3月11日には被災地の海岸や御寺院様に赴き、亡くなった方々の慰霊をさせて頂いております。
そうした活動に於いて、被災地の方ともお話をする機会を頂きます。
そこで会話をした方が仰るには、被災地の事を忘れ去られてしまうのが何より悲しいし、寂しいというものでした。
だから、全国の方が思いを寄せてくれるだけでも、本当に有り難いんだと話して下さいました。
震災発生直後には大勢いたボランティアも、現在は人手が足りなくなっているという報道も目に致します。
人は忘れる事ができるから生きていけると言います。確かに一理あると思います。
しかし、私たちはまだ忘れてはいけないと思うのです。辛く悲しい思いをされた被災地の皆様の心の傷が癒えるまでは・・・。
間もなく春のお彼岸です。
是非、ご家族皆でお墓参りに出かけ、亡き人を忘れずご先祖さまに思いを馳せて下さい。
皆様のご健勝と、被災地の1日も早い復興を至心にご祈念申し上げます。
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お盆号2015.07.10
戦後70年を迎え想うこと
梅雨真っ最中といった感じで雨天が続き、ジメジメと湿度の高い鬱陶しい今日この頃でございます。
それでも、例年であればエアコンを連日使用することもめずらしくはないこの時期ではありますが、(7月10日現在ではありますが…)我が家ではまだほとんどエアコンを使用せずに過ごせております。
天気予報でも、今年の夏の冷夏の可能性を指摘する予報士の方もいらっしゃいましたし、作物などへの影響を考えると、涼しく過ごしやすいと喜んでばかりはいられないのかもしれません。
龍性院檀信徒の皆様におかれましては、ご自身の体調に気を配り、心も体も健康にこの夏をお過ごし下さいますよう、お願い申し上げます。
さて、本年平成27年は、我が国も含めた世界各国にとって戦後70年の節目の年であります。
国内の仏教団体等でも、戦没者の鎮魂、世界の恒久平和を願い、様々な個所で慰霊法要が計画され、また、勤修されております。
戦後70年が経過していると考えますと、戦争の記憶を鮮明に覚えていて、直に当時のことをお話できる方も、高齢となり少なくなってきております。
しかし、どれだけ時が経とうとも、戦争の恐ろしさや悲惨さは、風化させることなく後世に伝えていかなくてはならないと感じております。
先の第二次世界大戦では、日本人だけでも民間人も含め310万人、全世界では実に8000万人の尊い命が失われました。
ドイツの現在の推計人口がおよそ8200万人程度ですので、大国が丸々一カ国消滅するほどに多くの方が当時戦争の犠牲になったのです。
おそらく檀信徒の皆様方のご家族やご親族の中にも、戦争で大切な人を失ったという方がいるのではないでしょうか?
当時の日本の人口が7400万人程だったそうですので、およそ24人に1人の日本人が戦火に倒れたという事なのです。
今現在の豊かで平和な日本に暮らしておりますと、70年前に悲惨で恐ろしい戦争があったことなど忘れてしまいそうになります。
しかし、現在の我々が享受している平和は、先の戦争に於いて志半ばで散華された方々の上に成り立っております。
世界に目を向けますと、悲しいことですが、依然として中東ではイスラム国を中心として様々な紛争が続いておりますし、大戦後から現在に至るまで、日本では戦争はありませんでしたが、世界では数度の戦争により多くの命が奪われて来ました。
日本も含め世界の戦没者が願うのは、悲惨な戦争が無くなり、自分の家族や友人、大切な人が笑顔で暮らせる世の中を作り上げ、そんな平和な世の中をいつまでも守り続けて欲しいということではないかと思います。
仏教には〝和顔(わげん)愛語(あいご)〟という言葉があります。
和やかな顔で思いやりのある言葉を相手にかけると、相手もまた和やかな気持ちになれるという、布施行のひとつです。
〝布施〟というと物やお金を連想してしまう方も多いですが、布施には〝財施〟と〝法施〟があり〝法施〟はお金や物を持たない方でもできる布施行なのです。
国際関係となると、お互いの国が利益を守らなければなりませんし、簡単なことではありませんが、世界各国、すべての人間同士が、この〝和顔愛語〟を実践できれば、絶対に戦争は起こらないと私は思います。
戦後70年の節目を迎え、今を生きる我々や世界各国の人々は、二度と戦争をしないと心に誓い直し、平和な日本、平和な世界を守り、作り上げていきたいものです。
今年も間もなくお盆がやって参ります。
檀信徒の皆様には、ご先祖様と共に、先の大戦で散った護国の英霊、戦没者の方々へも慰霊の想いを寄せて頂き、『平和』について再考する契機として下さればと存じます。
現代人が今一度『平和』について深く考えることが、戦没者の方々への供養になるのではないでしょうか。
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