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春彼岸号2025.03.27
彼岸を迎え
ここ数年は暖冬が続いておりましたが、この冬は久しぶりに冬らしい寒い日も多かった様に感じます。冬が寒ければ寒いほど、春の暖かさが一層恋しく思いますが、ここへ来てその春の訪れを日に日に感じる様になりました。常夏の国にいれば、温かいとか暑いとかは“普通”であり、時に涼しいや寒いを恋しくも感じます。今、日本へのインバウンドが人気ですが、東南アジアなど暖かい国の方はあえて冬に訪れて、雪を見たり雪に触れたりする事を楽しむ方も多いようです。我々は、寒い冬を抜け春の訪れを待ち遠しく思いますが、ずっと暖かい国におれば、冬のある国が羨ましくも感じるのでしょう。そういう意味に於いては、四季があり、春夏秋冬の季節ごとに気候も変化し、多様な環境と自然を体感できる日本という国は、非常に恵まれた国であるのかもしれません。
思えば私たちの感覚というものは、すべて相対的であるように思います。暖房の効いた部屋から、暖房の無い部屋へ移動すれば寒いと感じますが、寒風の吹く外から家に入れば、たとえそこが暖房の無い部屋だったとしても暖かいと感じるでしょう。学生だった頃、長い長い夏休みがいつまでも続けば良いと思いましたが、今思えば学校生活があればこそ、また長いお休みが恋しかったのであり、毎日がずっと休みであったら、休みの有難みというものも感じなくなってしまうのでしょう。一日に一食しか食べられない人が二食食べられるようになったら嬉しいでしょうが、一日三食食べられていた人が一日二食になったら不満になります。どんな環境でも、見方を変えればすべて価値は変わってしまって、絶対的な価値はないのだなとわかります。
日本人は、感謝の心を言葉で表す時「ありがとう」って言います。「ありがとう」の語源は仏教の「有り難し」という言葉です。見方を変えればすべての価値が変わる世の中にあって、人さまから親切にして頂いたり、何気なく過ごしている毎日が、実は本当に有ることが難しい特別な事で感謝すべき事だと、昔の日本人はわかっていたのでしょう。
いつまでも生きていたいと思います。でも、いつかは私たちもご先祖様のもとへ帰ります。いつかは帰らなきゃいけない場所があるから、今の私たちの命も本当に有り難い特別なものだと感じる事ができます。何事にも感謝する心が、私たちの幸福感を育みます。お彼岸にあたり、今一度ご先祖様や自分の命、周囲のすべてに感謝する心を育てたいですね。
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正月号2025.01.01
新年のご挨拶
新年おめでとうございます。昔から、「年を取るとどんどん時が経つのが早くなるよ!」と、人生の先輩方から何度も言われてきましたが、本当にその事を実感する今日この頃であります。令和6年もあっという間に過ぎ去り、また一つ年を重ねます。龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、令和7年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。また、旧年中に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。本年も、當山護持・発展の為、奮励努力の精神で法務、檀務に取り組んで参りますので、変わらぬご信援を頂きます様、よろしくお願い致します。
昨年は、元日に能登半島沖の地震が発災しました。新型コロナウイルス感染症が、5類に移行してから初めて迎えるお正月でありましたので、おそらく多くの方が帰省をされていた事でしょう。家族団欒し、穏やかな元日を過ごしていたであろう午後4時10分頃、最大震度7の大地震が被災地を襲いました。多くの尊い命が犠牲となられました事、深くお悔やみを申し上げます。
能登半島沖では、その後も豪雨災害に見舞われる等、昨年中の苦しみはいかばかりであったのか考えると、言葉も見つかりません。
改めて、私たちが“普通”とか“平凡”とか言って過ごしているお正月や日常とは、どれほど有難いものなのかを考えさせられる、昨年の元日でありました。
私たちは、普段から幸せな人生を願います。しかし、幸せとはいったい何でしょうか?多くの財産を築く事、名声を得る事、いつまでも若くいられる事。100人いれば、100通りの答えが上がるでしょう。でも、おそらく私たちが答える幸せは、誰かとの比較の上に成り立っていませんか?他人より財産を持ちたい、他人より有名になりたい、他人より若く見られたい…。これでは、それを手に入れた一瞬は幸福感を感じるかもしれませんが、すぐに物足りなくなってしまい、いつまでたっても満たされません。比較しても、上には上がいるのですから…。
真の幸せは、他人と比べて得られるものではなく、自分の今ある環境から与えて頂いたものの中に、見出すものだと私は思います。言うは易く行うは難し。偉そうな事を言いましたが、私も真の幸せを感受出来ているかと言われると、時に他人と自分を比べて心が乱れたりと、まだまだ未熟な部分もあります。しかし、すぐに反省し、失敗を引きずらない様心がけてはいます。
ともあれ、私たちが当たり前だと思って過ごしていたお正月や日常は、本当はメチャクチャ有難い時間なんです。被災地の今年のお正月が、どうか“普通”で“平凡”なものでありますように…
令和7年が、皆様にとって幸多き年となります様、ご祈念申し上げ、ご挨拶と致します。
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春彼岸号2024.03.27
彼岸を迎え
「あっ!」という間に日々は流れ、気が付けばもう春のお彼岸を迎える頃となりました。この冬は記録的な暖冬でありましたが、日本のみならず世界的にも暖冬傾向で、米海洋大気局(NOAA)の発表する2月の世界平均気温は過去最高になる見通しだと言われています。三月に入り、寒の戻りと思える日もありましたが、全体としてはやはり暖かい冬であったと感じる方も多いのではないでしょうか?しかし、この寒暖差が激しい気候は体には大きな負担となります。皆様も体調など崩さぬよう、くれぐれもお気を付けください。
さて、日本では年に2回お彼岸があります。3月の春分の日、9月の秋分の日を中日とし、それぞれ7日間に亘ります。近年は気候変動もあり感じにくくなっておりますが、昔から“暑さ寒さも彼岸まで”と言われるように、四季の豊かな日本にとっては、寒さの厳しい冬から暖かい春へ、暑さの厳しい夏から涼しい秋へ、気持ちの良い季節へ移行していく喜びを実感できるのも、ちょうどこの頃ではないでしょうか?
彼岸とは、サンスクリット語の「パーラミター」という言葉が元になっており、正しくは到彼岸と言います。苦しみの原因である迷いや悩みに満ちた岸(此岸)から、苦しみを脱した仏さまの岸(彼岸)に到るという意味です。
ご先祖様が生きていた頃、冬がどんなに寒くても、夏がどんなに暑くても、現代のような冷暖房のある家や、機能性の高い衣服があったわけでもなく、季節によっては決して快適ではない日常も多かったのではないでしょうか?でも、だからこそ、寒い冬や暑い夏から、待ちに待った暖かい春や涼しい秋へ移行し快適になるこの時期に、苦しみの此の岸から悟りの彼の岸へ渡る彼岸という考え方に、自然と得心がいったのだと私は思います。
お彼岸には、是非皆でお墓参りをしましょう。お墓は、亡き人と私たちを繋ぐかけがえのない場所です。亡くなった人と残された人、双方の為にあるものだと感じます。此の岸は、迷いや悩みが多い世界ではありますが、墓前で手を合わせ、ご先祖様と自分の命の繋がりを心に感じることができたなら、どれだけ頼もしく力の湧くことでしょう。そして、仏さまやご先祖様があなたのすぐ近くにあると信じた時、彼の岸もきっとすぐ近くにあるはずです。
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正月号2024.01.06
新年のご挨拶
新年おめでとうございます。ついこの間、お会いする方々に年始のご挨拶をした様な気が致しますが、あっという間に一年が経ちます。龍性院檀信徒の皆様方におかれましては、令和6年の新しい年をご家族ご一同様でご無事にお迎えのことと、心よりお慶び申し上げます。また、旧年中に賜りましたご厚情に対しまして、心よりお礼を申し上げます。本年も、當山護持・発展の為一生懸命尽力して参りますので、変わらぬご信援を頂きます様、よろしくお願い致します。
“温暖化”という言葉が使われる様になって久しいですが、令和5年の夏も格別に暑い夏でした。また、従来の所謂「夏」と言われた時期のみが暑いわけではなく、9月後半や10月を迎えても最高気温が30度を超える日も多く、11月の前半を迎えても尚、25度を上回る日がある等、一昔前の日本の四季とは様変わりしてしまった様な気も致します。「春」、「秋」と言われた過ごしやすい季節が短くなり、暑いか寒いかの極端な気候が増えてきたと感じます。
こうした異常な気候のせいか、この夏は森林や植木等の立ち枯れの被害も多く目に致しました。私たち人間は、暑かったら涼しい場所へ移動することも可能かもしれませんが、植物はそうもいきません。あまりに過酷な条件では、忍耐強い木々でさえ生き延びるのは難しいのでしょう。
この“龍性院だより”は、檀信徒の皆様には、紙に印刷をしてお届けしております。ベトナム出身の僧侶であるティク・ナット・ハン師は、著書において次の様に述べています。
「もしもあなたが詩人なら、この紙の上に雲が浮かんでいるのが、はっきり見えることでしょう。雲がなければ雨は降りません。雨が降らなければ、木は育ちません。そして、木がなければ紙は出来ないのですから、この紙がこうしてここにあるために、雲はなくてはならないものです。もしここに雲がなかったら、ここにこの紙は存在しません。それで、雲と紙はインタービーイング(相互共存)しているといえるのです。」
私たちも含めたすべてのものは、相互共存しています。つまり、自分だけの単独での存在はあり得ないのです。木が一本枯れるという事も、私にとって他人事ではないし、むしろ、他人事などあり得ず、すべての事は自分事です。たった一枚の紙が目の前に存在することは、その為に必要な他のすべてが存在するからです。
世界的な気候変動や、他国での戦争や紛争、様々な問題に皆で目を向け、自分の為にもすべてのものと相互共存していることを再自覚する、そんな一年にしたいものです。
令和6年が、檀信徒皆様にとって幸多き年となります様、ご祈念申し上げ、ご挨拶と致します。
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お盆号2023.08.01
近くに感じる
日に日に暑さも増し、今年も夏のお盆の季節を迎えます。何もせずとも“夏バテ”になってしまいそうな程、埼玉の夏は暑い!檀信徒の皆様は、夏の暑さに負けずお変わりなくお過ごしでしょうか?
例年、お盆の季節にはいわゆる「帰省ラッシュ」という言葉がメディア等で盛んに報道されます。過去3年間、新型コロナウイルス感染症の社会的影響により、それ以前に比べればラッシュも緩和していた様に思われますが、今年の5月のゴールデンウィークの各地の混雑状況を見ると、今回のお盆はかつての帰省ラッシュに近いものになるのではないかと、推察されます。
「帰省ラッシュ」とは、大渋滞の中、多くの国民が故郷に帰る為の大移動のことを言います。故郷では、親族や縁者が大勢集まり、お盆に亡きご先祖様をお迎えします。そして、集まった皆でご先祖様とのご縁を確認し、そのご縁に感謝する貴重な機会となるものです。あの大渋滞の中、ひたすら多くの方が故郷を目指して帰るのは、ご先祖様も含めた多くのご縁を感じ、心安らかに過ごしたいと強く願うからだと思います。そしてご先祖様もまた、今を生きる皆様とお盆にお会いできることを、きっと楽しみにしておられるはずです。
ご先祖様は目に見えません。しかし、お墓参りや仏壇の前で手を合わせる時、私たちは心の目でご先祖様を見ています。そして、時にはご先祖様に語り掛け、好きだったお酒やお食事等をお供えし、近くにご先祖様を感じています。目には見えなくとも、決していなくなったわけではないのです。
私たちも、いつか寿命を迎えるとご先祖様と同じところへ往きます。しかし、普段からご先祖様を身近に感じられていれば、きっとその時も寂しくはないでしょう。
お盆は、ご先祖様も「帰省」されます。ご先祖様を近くに感じる、良いお盆をお迎え下さい。
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